結局は到達度とかになっちまうんだろうな

 はー、絶対評価。
 教職関係の授業をもう取っていない自分としてはあまり考える機会がないのだけれど。

 いかにも最近の流れだ。
 ウチの学部の学生で、こういうのを歓迎する人って少ない。文部科学省が嫌いな人が多い。教育学部なのに(笑)僕も嫌いだ。政策に一貫性がないし。

 ちょっと前にゆとり教育ってのを打ち出した。週休2日制の徹底。総合的な学習の時間の創設。授業内容の三割カット。数学に関しては、不等式を高校で(はー・・・)、A=B=Cの連立法式も中学から削除、解の公式も削除、理科だとイオンをやらない、遺伝をやらない、などなど。考えることにも最低限知識を必要とするってのに。これで学力が落ちないと言えるのか?実習校の先生もなげいてたな、

 んで、今年になってみれば文部科学省は「塾や補習等で学力を補うのが望ましい」と言っている。けーっきょくは授業の内容削ったのを後悔したような答申をだしやがって。現場が振りまわされてるな(苦笑)

 絶対評価もどう働くか・・・

 ここ数年、小学校、中学校の体育祭で「50m走、100m走」など順位がつくものをやらないって流れがある。障害物走とかそういうのだけをやるって。

 人と比べなくなってきてる。
 そもそも人と比べすぎるきらいのある僕らだが、競争ってやつをしなくなっている。これはプラスの方に働くの?

 学力に自信のあるやつは、学力で評価されればいい。運動能力に自信のあるやつは、体育祭の短距離走で1位を取ればいいじゃないか。

 体育祭で100m走が廃止されつつあるということが授業で取り上げられた時、体育の得意なやつは、どこで自分の能力を発揮すればいいのか?と思った。勉強できるやつは点数で発揮するのに。でも絶対評価とか、こうなってくると、勉強できる奴ってのもどうすんだろ?それ以上に高校は中学校のこういう流れをどう評価するのか?

 結局は塾でやる模試の成績、中間・期末の順位で高校を選ぶじゃないか。通信簿離れ、というか通信簿なんて高校にとってあてになれないってことになって、内申書なんてもんが必要なくなるのかもしれない。でも結局は学力がないと高校に入れないわけで・・・。それで、絶対評価な成績で入れるようになったとしても大学には行けないだろうし(センターが一度取った予算を返上するわけがない。甘くはないってことだ)

 なんでこんなこと考えたかっていうと、バーチャルネットアイドル「ちゆ12歳」のサイトに載ってた記事をたどったら、そんなニュースサイトに辿りつきました(笑)
 そして今酔っているので、この内容は適当です。


 グローブオンファイト、友達が焼いてくれてます。
 月姫も焼いてくれます(遊ぶ暇なんかないくせに)

 明日はガンダム戦記の発売日です。明日だけ夏休みです。

 おやすみなさい。0083はすばらしい!ジーク・ジオン。

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